マイストーリー
私がどのようにしてイエスキリストを信じて救われたのかをお話しします。
川津 求
Motomu Kawatsu
私は1993年4月、愛知県豊橋市で兄二人、妹一人の三男として生まれました。両親が牧師で、幼い頃から教会に通い聖書に親しんできました。中学時代は友人とバンドを組んだり、ゲームやスポーツをして遊んでいました。高校時代ではK-popにハマり、学園祭で友人とコスプレをしてダンスをするほどでした。自分がしたいこと、好きなことをして生きていました。
しかし高校3年生の時に自分の信仰と向き合うことになります。私は16歳の時に洗礼を受けていました。ただ18歳の時、「自分が本当に救われているのか」が分からなくなり、教会から離れていったのです。
その後、大学に進学をして名古屋市にある大学で学ぶようになります。志望動機はやはりK-popの熱が冷めず「韓国語を学びたかったから」、ただそれだけでした。しかし、2年生になるとその熱もすっかり無くなってしまいます(笑)。ちょうどその時、また自らの信仰と向き合うようになります。そこで自分がクリスチャンであるのかどうかを確かめました。それは“クリスチャンなら伝道をするものだ”という考えの下、必死に友人に聖書について伝え始めたのです。そのように熱心かつ努力して伝道することがクリスチャンである証拠だと思っていました。自他共に私がクリスチャンであることを認められるように努めていました。
ですが、やはり心は虚しいままでした。どうして神を礼拝するのか、その意味が分からずにいました。心の中は感謝も喜びも何もありません。ですから余計に教会にはいられなくなりました。こんな自分が教会にいてはいけないと思ってからです。
そんな生活が一年半続きました。大学2年生の20歳の時に人生の転機を迎えました。大学時代は、今まで経験したことのなかったあらゆる人間関係が崩壊し、人間不信に陥っていました。両親から期待されることは、私が真面目に毎週教会に行くことでした。しかし、それが叶わないことで関係は良くなかったのです。兄弟関係もまた当時は希薄で、今どこにいるのか分からない兄弟もいました。さらに大学の友人は、私が宗教を信じていることに不信感を抱き離れていきます。地元からも離れていたので親しい友人とも会うことはありません。親、兄弟、友人の誰とも相談できない孤独を、その時初めて味わったのです。
私は小学校から高校まで、クラスの委員長または委員会の長になったりと、他者のことを気にして、常に責任が付きまとい、長い間、自分という姿を表現することができずにいました(そんな状況下でできる好きなことはしていましたが…)。しかし、大学に入って自由ということを経験したのです。他者のことで自分が左右されることはない、自分のことだけの時間が持てる。そして”私が私であろう”とした時でした。ですが、そこで経験したのが周囲の期待に応えることができなければ、私自身への関心は示されないということでした。結局、他者の期待に応えることができなければ、自分には価値のない存在となってしまうのかと落ち込みました。他者の期待に応える人間関係に疲れ、私らしく生きていこうとした時、それまで周りにいた存在は失望したのです。
私が孤独になって初めて、自分の中に求めていたあるモノに気づきました。それは”無条件に愛してもらうこと”でした。わがままなのかもしれません。しかし、私が私であることを心から喜び受け入れてくれる存在を求めていたのです。
その時、聖書のある言葉が語りかけられたと感じました。「わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない」(ヨシュア1:5)という言葉です。不思議なことに、イエス・キリストの十字架が私の心に思い浮かびました。キリストは”誰のために苦しまれ”、”何のために十字架で殺されたのか”。その答えは、すべて私のためだったのです。その犠牲によって罪人である私を赦し、自分勝手に生きてきた私を受け入れるためでした。まさに真っ暗な夜空に星が輝き出すように、孤独と悲しみの中に、私はイエスキリストの光を見つけました。
それまでの人生は、イエス・キリストを知りながらも無視していた者でした。イエス・キリストがいなくても楽しく生きていけると思っていたからです。また自分が楽しければそれで良かったのです。しかし、その思いが意味するのは、私がいかに自己中心な存在であるかを意味しています。そんな無慈悲で自分勝手な私に、神は目を留めてくださり、イエス・キリストによる一方的な愛を示して受け入れてくださったのです。自分勝手な私を、ありのままの私をイエス様は無条件で受け入れてくださったのです。
かつて私は周りの人の期待に応えるのに疲れ果てました。また自分が救われる為に良い行いをして努力していました。しかし、どれも上手くいかず、かえって心を虚しさせました。一時期は自分が生きている価値もないと涙を流し落ち込んだこともありました。しかし、そんなどうすることもできなくなった私をイエス様は一方的な愛を示して受け入れてくださったのです。私に生きる希望と価値を与えてくださいました。そのことを知った瞬間、私は涙と喜びが溢れ、”救われた”と思いました。私が私であろうとした時、多くの関係が失われていきました。そのことに悲しんでいる時、”わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない”という聖書の神の言葉が語られたのです。イエス様の無条件な愛を知り、こんな自分が受け入れられていることに心から喜びました。
そして祈りました。「主よ。こんな私で良ければ、どうぞ用いてください」と。するともう一つの聖書の言葉が与えられました。「私の羊を飼いなさい」(ヨハネ21:17)。私はその言葉を信じて受け取り、牧師になる決心をしました。
その経験を通して私は救いとは何か、礼拝とは何かを知り、教会に戻るようになりました。不思議なことにその後、家族や友人との関係が良くなっていったのです。そして大学卒業後、牧師になるための神学校で4年間学び、2020年を卒業しました。そして、同年3月よりキリスト兄弟団西宮教会に副牧師として奉仕して、2022年4月より仙台教会へと赴任しました。
私が受けたイエス様の一方的な愛を多くの人に知ってもらいたいと願います。悲しみ、苦しみから救われる人が一人でも生まれるように仕えていきます。